2015年2月2日撮影
◆所在:
愛知県名古屋市緑区鳴海町下中
◆交通:
名鉄鳴海駅の北側にあり、県道222号と県道242号とが交わる本町の交差点を東に進むと、橋の手前に瑞泉寺が見える。橋を渡ってすぐを右折し、60m程でもう一つ橋が見えるが、その手前を左折した50m先の民家の裏庭に碑が立っている。
◆歴史:
今川義元との戦いを前にして織田信長が鳴海城を取り巻くように作らせた砦の一つで、梶川高秀が守備をした。
駿河を出発し三河まで来た義元に対し、本拠地の清須城を出発した信長は鷲津、丸根の両砦が落とされた事を知り、熱田神宮から丹下砦、善照寺砦と移動して中島砦に入った。
中島砦に着いた時は2千騎足らずだったが、桶狭間で義元が休息している情報を得た信長は、中島砦を出て本陣を急襲し、義元の首を取る事に成功。これが有名な桶狭間の戦いである。
梶川高秀の息子に梶川秀盛がいる。
秀盛は水野信元の配下として、大脇城から横根城までの広い範囲を治め、後に信元に請われて成岩城へ移った人物である。
◆現在:
一帯は宅地化されたため遺構は残されておらず、民家の庭に碑が立つのみとなっている。
所有者の好意で庭に入り、碑を間近に撮影する事も可能。
裏通りにある門の脇に取り付けられた看板