赤本陣・七里の渡し

2017年1月30日撮影


◆別名:

 

◆所在:

名古屋市熱田区神戸町503

 

◆交通:

 

◆歴史:

当時、東海道宮宿と桑名宿の間は伊勢湾が奥まで入り込み、陸路で移動する場合、美濃路経由で遠回りをする必要があった。 このため、七里の渡しが制定され、宮宿には勅使や大名、旗本などが宿泊する本陣が二軒建てられていた。

 

この赤本陣はその一つで、土地の有力者である南部新五左衛門が御用を務め、苗字帯刀を許されていたとされる。

 

天保年間(1830年~1844年)の書物には建坪236坪とあり、広大な敷地を有していたが、戦災によって焼失し、遺構などはのこされていない。

 

◆現在:

『ひつまぶし』で有名な蓬莱件の北側駐車場脇に赤本陣の看板が立てられている。


七里の渡し


寛永2年(1625年)に常夜灯が建てられ、長い間、舟の目印となっていたが、戦災で消失。

 

現在の建物は昭和58年に復元された物。


赤本陣近くに残る道標

 

東海道と美濃路の分岐点にあたる場所に建てられていた。

 

※平成27年に現地に移設


七里の渡し跡の東向いに残る熱田荘は明治29年(1896年)の建築。

 

近世の町屋の面影を残しており、当時の景観をしのばせる建物である。


※下記の地図は赤本陣跡の看板がある所を示している。