◆別名:
平手政秀邸 ・ 西志賀城
◆所在:
北区平手町
◆交通:
◆歴史:
源(小国)頼行の末裔である中川清政が西志賀城と呼ばれる城館を築いた事が始まりと伝わる。
清政は、南北朝時代に斯波氏麾下で名古屋村人と伝わる以外は不詳の人物で、立地に関しても現在の志賀公園近辺と言われているのみで、年代や位置なども不明である。
その後、織田信長の傅役である平手政秀が本格的な城館を築き、平手氏の拠点となったと伝わる。
織田信秀に招かれた山科言継が建物の造作に驚いたという記録がある事から、当時としてはかなり大がかりな城館だったと想像される。
◆現在:
享和2年(1802年)に尾張藩の有志により、平手政秀の忠誠を称える顕彰碑が建てられた後、大正5年には愛知県が政秀邸跡の碑を建てている。
現在、一帯は志賀公園となっており、公園内に顕彰碑などは保存されているが、当時の遺構は残されていない。