前田(まえだ)城

2018年1月26日撮影


◆別名:

 

◆所在:

名古屋市中川区前田西町1丁目904

 

◆交通:

 

◆歴史:

尾張海東郡一帯を支配した土豪である前田氏の本城である。前田城主は代々與十郎を称しており、一族は近辺に下之一色城荒子城などを築いて支配を固めて行ったとされ、室町末期には、勝幡城から津島一帯を支配して勢力を拡大していった織田信秀に属し、功績を挙げて行った。

 

天文7年(1538年)前田城内で加賀藩祖の前田利家が誕生し、天文13年(1544年)に荒子城へと移ったと言われているが、当時の前田城主であった與十郎長定との関係は良く判っていない。

稲生の戦いでは林通具に従ったため、織田信長によって領地を没収された物の、本能寺の変で信長が死去すると、子の長種と共に織田信雄配下の武将として、一帯を支配する城主として復帰している。

 

天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いで長定は蟹江城を奪い取り、豊臣秀吉に寝返った。蟹江城の異変を知った織田信雄・徳川家康連合軍は奪還の兵を挙げ、蟹江城を攻め落とし、同時に前田城や下之一色城など、前田氏の支配する城は攻め落とされ破却。信雄を裏切った長定は討ち取られ、前田城にいた長種は加賀の前田利家を頼って落ち延びたとされる。

 

◆現在:

城跡は速念寺となっており、遺構等は存在しないが、速念寺の本堂は前田利家の銀鯰尾兜を模した形となっている他、隣接する圓盛寺には利家の由緒碑が立てられている。