2016年10月21日撮影
◆別名:
名城 ・ 金鯱城 ・ 金城
◆所在:
名古屋市中区本丸
◆交通:
◆歴史:
慶長14年(1609年)徳川家康は、九男義直を尾張藩主として任命し、その居城として名古屋城を築く事を決定する。佐久間政実や大久保長安らが奉行を務め、縄張りは牧長勝(祖父の牧長清は織田信秀の妹婿で小林城主、伯父の牧長清は織田信長の妹婿にあたる)が行い、石垣は西国の諸大名に助役を命じ、天守台は加藤清正が築いている。
慶長17年(1612年)頃、ある程度町割りの整った名古屋城下へ、これまで尾張の中心地であった清洲城から義直が移り住むと、家臣だけでなく、町人や寺社までもが名古屋城下への移住(清州越し)を命じられた。
その後は代々尾張藩主の居城として、江戸時代を過ごしてきたが、大政奉還が行われた後の明治3年(1870年)に、尾張藩主である徳川慶勝が名古屋城の破却を新政府に申し出た事があった。
しかし、明治12年(1879年)山縣有朋が姫路城と共に名古屋城の保存を決定し、天守閣と本丸御殿などの建物は存続する事になった。
昭和20年(1945年)太平洋戦争時の名古屋空襲により、天守閣を初めとした建物は焼夷弾により焼失したが、昭和34年(1959年)に全国からの寄付などによって再建を果たしている。
平成25年(2013年)に現在の鉄筋コンクリートの天守閣を、本来の木造建築で復元する案が出され、その行方が注目されている。
◆現在:
復元天守を中心に城址公園として遺構が保存されている。