坂井戸(さかいど)城

城跡近辺に建つ薬師寺

 

2017年3月6日撮影


◆別名:

 

◆所在:

西区坂井戸町

 

◆交通:

 

◆歴史:

城主に小田又六郎の名前を見る事ができる。

坂井戸と言う地名の由来として、尾張徇行記に『昔、この地域の人々は坂庭にある薬師の坂を下って、織田又六郎府の井筋の水を汲んでいたため、坂井戸と言った』とある事から、小田又六郎とは織田信張の事と思われる。

 

織田信張は織田三奉行の一つ藤左衛門家の系統で、織田信秀の弾正忠家と同格であったが、兄の寛維が当主を継いだ後、早世するなど、家督が安定しなかったため、早い時期から信秀の庇護を受けていたと言われている。

 

その後、浅井攻めや比叡山焼き討ち、紀伊雑賀攻めなどに信長の直属軍として従軍し、和泉半国を領有したが、本能寺の変で信長が討死すると小田井城へ戻り、尾張を領有した信雄へ仕えている。

 

一説によると、豊臣秀吉から肥後領主の佐々成政が失脚した後、八代城主の打診を受けたものの、これを断ったと言われ、その後は文禄3年(1593年)に近江大津城で没したとされる。

 

坂井戸城の築城・廃城年は不明だが、小田井城の出城として扱われたとすると、信長に従って関西方面へ従軍する前の弘治年間(1555年~1558年)前後に使用されたと思われる。

 

◆現在:

薬師寺と、その南にある津島神社の間が坂になっており、この坂が薬師の坂と思われる。

一帯は宅地化され遺構などは残されていない。 


薬師寺南に建つ津島神社