◆別名:
服部屋敷(?)
◆所在:
昭和区御器所3丁目
◆交通:
◆歴史:
吉野右馬允の居城と言われている。
右馬允の妻は、小林城の武将である山田盛重の娘であるが、右馬允が戦死すると失意の中で、長野善光寺まで旅をして出家し日秀妙光尼上人となり、織田信秀の援助を受けて熱田神宮の西側に誓願寺を建立した。元亀元年(1570年)には天皇の綸旨を受け、紫衣の着用の許可も得ている。
吉野右馬允の経歴は不明だが、誓願寺の建立から考えると、永禄年間(1558年~1570年)に存在した城になるが、城があったと思われる場所は、御器所西城から100m程度の位置にあり、年代的に見ても佐久間氏の支配地域と重なるため、佐久間氏配下の武将の屋敷であったと考えられる。
◆現在:
宅地化が進み、遺構などは残されていない。