吉野(よしの)城

城跡近辺に建つ久松寺

 

2017年3月6日撮影


◆別名:

服部屋敷(?)

 

◆所在:

昭和区御器所3丁目

 

◆交通:

 

◆歴史:

吉野右馬允の居城と言われている。

右馬允の妻は、小林城の武将である山田盛重の娘であるが、右馬允が戦死すると失意の中で、長野善光寺まで旅をして出家し日秀妙光尼上人となり、織田信秀の援助を受けて熱田神宮の西側に誓願寺を建立した。元亀元年(1570年)には天皇の綸旨を受け、紫衣の着用の許可も得ている。

 

吉野右馬允の経歴は不明だが、誓願寺の建立から考えると、永禄年間(1558年~1570年)に存在した城になるが、城があったと思われる場所は、御器所西城から100m程度の位置にあり、年代的に見ても佐久間氏の支配地域と重なるため、佐久間氏配下の武将の屋敷であったと考えられる。

 

◆現在:

宅地化が進み、遺構などは残されていない。


熱田区誓願寺は源頼朝の出生地でもある。