城址に建つ神明社の由緒碑
2017年2月26日撮影
◆別名:
◆所在:
名古屋市守山区深沢
◆交通:
◆歴史:
天正13年(1585年)に記載された織田信雄分限帳に『北野彦四郎が二百六十貫文吉根・岩井郷共に』と言う記述が残されている。
前年の天正12年(1584年)に豊臣秀吉と徳川家康の間に、小牧長久手の戦いが起こっているが、きっかけの一つに、織田信雄に仕えた岡田重孝、浅井長時、津川義冬の三家老が信雄によって殺害されると言う事件があった。
これに対し、岡田重孝の弟である岡田善同は星崎城に籠城して抵抗したが、善同と一緒に籠城した武将の中に北野彦四郎の名前がある。
籠城戦には敗れ、善同は肥後に移り住んだが、彦四郎は尾張に残っている。
小牧長久手の戦いの講和条件の一つに吉田城(春日井市)や大留城などの廃城があるが、これらの城は信雄配下の中でも、戦の途中から秀吉側に寝返った城のようである。
北野彦四郎は吉根城を拠点として、これらの地区を監視していたと思われる。
◆現在:
城跡は現在の神明社とその北側一帯と言われている。
神明社境内の小高い部分は山之神社となっており、物見櫓が立てられていたと伝わる。
神明社から庄内川を撮影。
対岸は吉田城と大留城のちょうど中間地点にあたる。