◆別名:
◆所在:
名古屋市北区金城3丁目11-6
◆交通:
◆歴史:
天文年間に越智信高が清須城の出城として築いた事が始まりと言われているが、当時清須城を支配していた斯波氏や織田氏と、築城者の越智信高との関係は不明である。
その後、織田信秀が尾張の支配権を確立すると、林道勝の居城となるものの、信秀の死後に家督を継いだ信長に対し、織田信勝(信行)を擁して反旗を翻し、稲生の戦いで敗北。
この結果、田幡城は廃城になったと言われている。
なお、越智信高の子が狩宿城主の林弥助、その息子が林道勝と記された文書も存在するようだが、一般的には道勝の父は林通安となっており、通安以前の系図は美濃清水村稲葉氏へと繋がっている。
美濃稲葉氏の中で有名な人物に稲葉一鉄(良通)がいるが、一鉄は一時期越智姓を名乗っていた事がある上、林通安の弟の子孫が稲葉氏へ養子に入っているため、何らかの血縁関係はあったと思われる。
なお、稲葉重通の養子に入った正成の妻は、後に春日局となり、徳川家光の乳母として名を遺す事になる。
◆現在:
城址は金城小学校の敷地となっている。