日置(ひおき)城

2017年1月30日撮影


◆別名:

 

◆所在:

名古屋市中区松原

 

◆交通:

 

◆歴史:

平安時代に開かれた荘園の拠点があった地と言われているが、不詳。

築城年などは不明だが、築城主は織田寛定と織田忠寛の2説が存在する。

 

織田寛定は織田大和守家に産まれた室町中期~末期にかけての人物で、応仁の乱以降は尾張の南東部を支配していた。

対して織田忠寛は楽田織田家の当主である織田寛貞の子として産まれ、織田信長と信雄に仕えている人物で、後の津田一安である。

 

織田寛貞に関しては織田久長(信長の5代前の先祖)の流れを汲む人物と伝わるのみで、織田氏の系図には記載されていない某流のようであるが、武田氏や北畠氏との交渉役となっているのは、仮に敵に捕縛などされた際でも某流であるため影響は薄いが、織田一族には変わりがないので、その辺りを信長に上手く利用されたのではないかと推測される。

 

永禄3年(1560年)桶狭間の戦いに向け、織田信長は清洲城を出発し、進軍の途中で城址近くにある日置神社に立ち寄って戦勝祈願を行い、軍勢の到着を待って熱田神宮へと軍を進めたと言われている。

 

◆現在:

日置神社西側一帯が城跡と言われているが、遺構などは存在しない。

雲龍神社跡地に樹齢1000年以上もある大楠があり、この一帯が城跡と言う説もあるが、どちらが正しいか明確ではない。